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湯浅誠氏「内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後」

2009年10月26日より、内閣府参与を務めていた、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんが、3月5日付で辞職したそうです。

ご本人からの経緯説明が自立生活サポートセンター舫(もやい)ホームページに掲載されています。


このたび、10月26日より就任していた内閣府参与の辞職願が、3月5日付で受理されましたので、ご報告します。1月29日の辞職願提出から受理に至るまでの期間が長かったため、多くの方よりご心配等をいただきました。感謝申し上げるとともに、以下、経緯の説明と私の意見、今後のことを述べさせていただきます。長文になりますが、お許しください。


→内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後
 http://www.moyai.net/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=229


湯浅さんは、若者勉強会の立ち上げの時、いろいろとサポートしてくださいました。

今後とも、貧困の解消のためにご活躍されるのを願っています。お疲れさまでした。


若者勉強会

2005年。年が明けるとすぐに東京に引越しました。

20代の内に一度は東京で暮らしてみたいと、就活をしながら考えていましたが、縁あって実現することになりました。

友人宅に居候しながら転職活動をし、家を決め、怒涛の1か月はあっという間に過ぎ、都庁の隣のビルで働くことになりました。


働き始めたその日から、都庁の下で暮らすホームレスの人たちの多さに驚きました。

え、日本で?こんなにたくさん?自転車通勤だったため、都庁の周辺の公園や路上にまであふれる彼らと毎日出会うこととなり、疑問は膨らんでいきました。


とはいえ、そのまま過ごしていれば、自分も彼らの存在に慣れ、やがて気にしなくなっていったのかもしれません。

ただ、その年の春から、東南アジア青年の船の先輩に誘われて受講するようになった地球市民アカデミアの講義の1つに、「国内の貧困」というテーマがあり、初めて「日本国内の貧困問題」に意識を向けるようになりました。


講義の後、地球市民アカデミアの運営委員の方に案内され、隅田川医療相談会に参加しました。そこには、医師・看護師・弁護士をはじめ、ボランティアでたくさんの方が集まり、毎月1回、ホームレスの人たちへ無料の医療相談会と炊き出しを行っていました。

数十年も、労働と貧困の問題に取り組んできた方も居て、自分の知らなかった世界に驚き、もっと知りたいと思うようになりました。


初めて参加した隅田川医療相談会の場で、若い世代のボランティアが増えてきたこともあり、みんなで勉強会をしませんか?というお誘いがあり、参加するようになりました。

集まったメンバーは、自分と同じく、ホームレス問題を最近知った人がほとんど。自分たちだけで勉強するのも良いけれど、せっかくなら公開勉強会を開きたい、その方が自分たちにも勉強になるだろうという意見が出て、集まったメンバーは翌年3月に卒業する学生が中心だったこともあり、翌年の3月までに3回の公開勉強会を開くことになりました。


とはいえ、初めて集まったメンバー同士。企画に関してはみんな素人で、そもそもだれを講師に呼べば良いかも分からず、隅田川医療相談会で活動する方々にアドバイスをいただきながら、手探りで企画を考え始めました。


団体名に関しても、『ホームレス勉強会』『社会的排除を考える会』など、いろいろな意見が出ましたが、テーマを絞らずいろいろと考えていきたいという事で、『燃える若者の会(略称:もえわか)』に決定しました。

いまもこの名称に愛着(?)のあるメンバーもいますが、広報や団体登録の段階になって、外部に伝える勇気がなく、最終的に『若者勉強会』に落ち着きました。


11月、1月、3月と、何とか3回の勉強会を行うことができました。毎回、60人を越える方に参加していただき、こういったテーマに興味を持っている(でも敷居が高いと思っている)人の多さを改めて実感しました。

各回には、メンバーからの報告や、寸劇、パネルディスカッションなどを入れ、進行も工夫しました。中でも、現場で実際に活動をされている方の声はとても好評で、勉強になりました。


半年間、全速力で駆け抜けたメンバー。多くは卒業を迎え、東京を離れる人もでてきました。公開勉強会とは違った形での活動の継続も模索したのですが、誰もが新生活に追われる中、解散となりました。

自分自身の経験をふり返ってみても、学生時代に力を入れていた活動を卒業後にも続けていく難しさを感じます。ただ、学生時代だからこそできること、短期集中のエネルギーというのは確かにあるし、その時の経験が別の形で活き続けているのも確かです。


若者勉強会に関しても、それぞれのメンバーの中で、当時の経験が活き続けています。代表の田中君は、留学、帰国、就職を経て、野宿者支援団体に転職。

それをきっかけに、2008年夏、新たな団体『紡[つむぎ]』を立ち上げました。その持続力と決断にとても感服しています。


自分も紡[つむぎ]の勉強会に参加しながら、どう生きていくか、どう関わっていくかを考えています。

転居も決まり、新生活への期待と同時に、東京での残りの時間の使い方を考える意味でも、自分の20代をふり返っています。

救急搬送

『若者勉強会』に参加してすぐの頃。いつものように会社に出勤していると、路上に、明らかにホームレスと分かる人が倒れ、痙攣(けいれん)のような症状を起こしていました。

さすがに通り過ぎることができず(それでも少し躊躇しましたが)、声を掛けてみるものの、ほとんど返事もありません。


持っていたペットボトルの水を分け、隣に座って少し様子を見ましたが、様子に変化が無く、途方にくれて勉強会のメンバーに連絡するもつながらず。

少し勇気が要りましたが、救急車を呼ぶことにしました。電話口で、倒れている男性はおそらく路上生活者であるということも伝えました。


待つこと数分。すでに会社には遅刻の連絡を入れ、少し気分も落ち着いてきていましたが、救急車が来てくれた時には、やはりほっとしました。救急隊員の方も慣れているのか、2・3の簡単な質問を受けた後、すぐにおじさんを救急車にかつぎこみました。

その時、おじさんの大切な荷物(毛布など)を置いて行かざるを得ないとは分かっていつつも、おじさんはこの後どうなるんだろうと自問自答している内に、救急車のドアは閉まり、救急隊員も車内に戻っていきました。


ただ、『医療相談会』などで、いざ救急搬送しようとしても、野宿者を受け入れてくれる病院がなかなか見つからないということを聞いていたので、その場で様子を見ていると、やはり受け入れ先がなかなか見つからないようで、結局20分ほど経ってから、ようやく救急車は移動していきました。

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