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オルタナティブ経済(alternative economy)

紡[つむぎ]のミーティングに参加しました。今日のテーマは「オルタナティブ経済(alternative economy)」。主宰のいるま君の発案です。


オルタナティブ経済の定義は様々ですが、特に現状の「自由主義経済」「グローバル資本主義経済」に対する代替経済を指すことが多いようです。その例として、フェアトレードや生協、共済、社会的企業などが挙げられ、メンバーそれぞれの考えや実践を共有しました。


長年、ホームレスの支援活動に取り組むNさんからは、「日本のオルタナティブ経済では、”目的(どんなことを)”は問われているが、”方法(どうやって)”が問われていないのでは」という問題提起がありました。

例えば、社会貢献を目的としている株式会社の場合、その「目的」に関しては「利益至上主義」へのオルタナティブだとしても、その「方法」(意思決定の流れや、責任・配当の格差)に関しては、他の企業と同じところがほとんどなのだそうです。


同様に、今の生協やNGOでも、特に組織が大きくなるほど、その「方法」は企業と変わらなくなってきているとのことでした。その意味では、「共産主義」のようなインパクトのあるオルタナティブにはなり得ていないのかもしれません。

とはいえ、「共産主義」はほとんど全て自壊しました。既存の共産主義は、「利益至上・資本主義経済」に対するオルタナティブにはなり得なかったのだと思います。


行き過ぎた資本主義に対抗するには、「アンチ(anti)」(労働組合運動やセーフティネットの構築)だけでなく、やはり「オルタナティブ(alternative)」(メンバーの参加や配当に関する新しい方法)が必要なのでは、という意見も出ました。ヨーロッパなどでは、すでにその取り組みが始まっているそうです。


これからは、NGOや社会的企業を応援する際に、その「目的、理念」だけでなく、「組織の運営方法(意思決定や配当など)」にも、もっと注目していこうと思います。

若者勉強会

2005年。年が明けるとすぐに東京に引越しました。

20代の内に一度は東京で暮らしてみたいと、就活をしながら考えていましたが、縁あって実現することになりました。

友人宅に居候しながら転職活動をし、家を決め、怒涛の1か月はあっという間に過ぎ、都庁の隣のビルで働くことになりました。


働き始めたその日から、都庁の下で暮らすホームレスの人たちの多さに驚きました。

え、日本で?こんなにたくさん?自転車通勤だったため、都庁の周辺の公園や路上にまであふれる彼らと毎日出会うこととなり、疑問は膨らんでいきました。


とはいえ、そのまま過ごしていれば、自分も彼らの存在に慣れ、やがて気にしなくなっていったのかもしれません。

ただ、その年の春から、東南アジア青年の船の先輩に誘われて受講するようになった地球市民アカデミアの講義の1つに、「国内の貧困」というテーマがあり、初めて「日本国内の貧困問題」に意識を向けるようになりました。


講義の後、地球市民アカデミアの運営委員の方に案内され、隅田川医療相談会に参加しました。そこには、医師・看護師・弁護士をはじめ、ボランティアでたくさんの方が集まり、毎月1回、ホームレスの人たちへ無料の医療相談会と炊き出しを行っていました。

数十年も、労働と貧困の問題に取り組んできた方も居て、自分の知らなかった世界に驚き、もっと知りたいと思うようになりました。


初めて参加した隅田川医療相談会の場で、若い世代のボランティアが増えてきたこともあり、みんなで勉強会をしませんか?というお誘いがあり、参加するようになりました。

集まったメンバーは、自分と同じく、ホームレス問題を最近知った人がほとんど。自分たちだけで勉強するのも良いけれど、せっかくなら公開勉強会を開きたい、その方が自分たちにも勉強になるだろうという意見が出て、集まったメンバーは翌年3月に卒業する学生が中心だったこともあり、翌年の3月までに3回の公開勉強会を開くことになりました。


とはいえ、初めて集まったメンバー同士。企画に関してはみんな素人で、そもそもだれを講師に呼べば良いかも分からず、隅田川医療相談会で活動する方々にアドバイスをいただきながら、手探りで企画を考え始めました。


団体名に関しても、『ホームレス勉強会』『社会的排除を考える会』など、いろいろな意見が出ましたが、テーマを絞らずいろいろと考えていきたいという事で、『燃える若者の会(略称:もえわか)』に決定しました。

いまもこの名称に愛着(?)のあるメンバーもいますが、広報や団体登録の段階になって、外部に伝える勇気がなく、最終的に『若者勉強会』に落ち着きました。


11月、1月、3月と、何とか3回の勉強会を行うことができました。毎回、60人を越える方に参加していただき、こういったテーマに興味を持っている(でも敷居が高いと思っている)人の多さを改めて実感しました。

各回には、メンバーからの報告や、寸劇、パネルディスカッションなどを入れ、進行も工夫しました。中でも、現場で実際に活動をされている方の声はとても好評で、勉強になりました。


半年間、全速力で駆け抜けたメンバー。多くは卒業を迎え、東京を離れる人もでてきました。公開勉強会とは違った形での活動の継続も模索したのですが、誰もが新生活に追われる中、解散となりました。

自分自身の経験をふり返ってみても、学生時代に力を入れていた活動を卒業後にも続けていく難しさを感じます。ただ、学生時代だからこそできること、短期集中のエネルギーというのは確かにあるし、その時の経験が別の形で活き続けているのも確かです。


若者勉強会に関しても、それぞれのメンバーの中で、当時の経験が活き続けています。代表の田中君は、留学、帰国、就職を経て、野宿者支援団体に転職。

それをきっかけに、2008年夏、新たな団体『紡[つむぎ]』を立ち上げました。その持続力と決断にとても感服しています。


自分も紡[つむぎ]の勉強会に参加しながら、どう生きていくか、どう関わっていくかを考えています。

転居も決まり、新生活への期待と同時に、東京での残りの時間の使い方を考える意味でも、自分の20代をふり返っています。

つながらなければ何もできない

紡[つむぎ]の定例会に参加しました。新しく参加する人も増え、ざっくばらんな話がとても興味深く、勉強になります。


昨年の秋から続く今回の金融危機は、1998 年頃に起こったアジア金融危機を超えてしまうかも知れないそうです。

当時、山谷の炊き出しには700~800人ほどが並び、お米が不足して、年間200万円ほどかかり、他の地域でもお米が不足したため、いくつかの団体が共同で『フードバンク』を立ち上げたという話を聞きました。そして最近の山谷の炊き出しでは、600人を越えるホームレスの人たちが並んでいると言います。


昨年末に立ち上がった『派遣村』も今月で終わることを聞きました。派遣村は、各地域のホームレス支援団体にとっても、セーフティネットの役割を果たしていたそうです。28日には、浅草でシンポジウムが開かれ、総括と今後の展望が話し合われるそうです。


話は社会運動にも及びました。そもそも「支援者」というスタンスは疑問で、自分も社会の一員なんだから、立場は違っても同じ社会の「当事者」ではないのか。支援する側の数は増えないのに、当事者の数が増え続ければ、今回の派遣村のように限界が来るのは当然で、結局は当事者がやっていくしかない。

社会運動の根幹には、人としての尊厳を奪われている現実があり、それを取り戻すには地道な「共同作業」しかない。など、多様な意見交換の場となりました。


また、長年ホームレス支援に関わっている人から、派遣村に来る若者には、1人で働いて、1人で辞めさせられ、1人で路上に出て、1人で派遣村に来る若者が多かったことを聞き、特に最近の傾向として、労働者が孤立させられている現実が見えてきました。

「つながらなければ何もできない。人をつなげていくのが、支援団体の役割なのでは」という言葉が印象に残っています。


では、なぜ人はつながろうとしないのか。つながるには、まず今の自分を認める必要があるが、「本当の自分はこんなんじゃない」と、自分の現実を受け入れられないのでは、との見方も出ました。

海外の貧困支援の現場に関わっている方からは、『ピア・カウンセリング』を国内の貧困問題の支援活動にも使えないかとの提案もありました。


また、「屋根には人の命を守る側面もあるが、人を孤立させる側面もある」という言葉に驚きました。生活保護を受け始めてアパートに入ることにより、路上生活で作り上げたコミュニティから離れてしまい、孤独になる人が後を立たないとのことで、「”どう路上を脱するか”も大切だが、”どう路上で生き抜いていくか”、”どう人とつながっていくか”という切実な問題も忘れてはいけない」と話していました。


毎月、本当にたくさんのことに気付かされます。現実はいっそう厳しく、自分にできることとして、悩みつつも発信していこうと思います。

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