目次

フラヒのふろく > 2010年04月

農村の日々のあれこれエトセトラ

記事一覧

ホーム > 2010年04月

湯浅誠氏「内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後」

2009年10月26日より、内閣府参与を務めていた、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんが、3月5日付で辞職したそうです。

ご本人からの経緯説明が自立生活サポートセンター舫(もやい)ホームページに掲載されています。


このたび、10月26日より就任していた内閣府参与の辞職願が、3月5日付で受理されましたので、ご報告します。1月29日の辞職願提出から受理に至るまでの期間が長かったため、多くの方よりご心配等をいただきました。感謝申し上げるとともに、以下、経緯の説明と私の意見、今後のことを述べさせていただきます。長文になりますが、お許しください。


→内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後
 http://www.moyai.net/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=229


湯浅さんは、若者勉強会の立ち上げの時、いろいろとサポートしてくださいました。

今後とも、貧困の解消のためにご活躍されるのを願っています。お疲れさまでした。


タグ:反貧困 若者勉強会

おくらとパプリカに初挑戦

庭先の畑に、初めて植物を植えました。おくら&パプリカです。

父が土を作ってくれていたので、うねをつくり、シートを敷き、穴を掘って、苗を植えました。
最後に、支柱を立てて、霜除けの囲いを作り、ひと安心。

自分のレベルでは、まだまだ小学生の農業体験のようなものですが、まずは基礎の基礎から。

楽しみです。

タグ:

危機は分かった。じゃあどうすれば?

いろいろな「危機」が伝えられています。それをまとめてみると、大きくは2つの「危機」にいきつくのでは、と思います。


1つは「食糧危機」。食べ物が不足する。

異常気象、地球温暖化(あるいは地球寒冷化)、世界人口の増大、生態系の変化、砂漠化(農地の減少)、水資源の枯渇、太陽活動の活発化など。


もう1つは「金融危機」。お金が不足する。

失業率の増加、賃金カット、各種補助金の削減、消費税を含む増税、世界的な不況、日本国破綻(デフォルト)など。


それぞれの危機について、いろいろな分析や原因の究明が行われていますが、正直なところよく分かりません。

たとえば、「本当に地球は温暖化しているのか?」「消費税の増税は必要なのか?」など。

とても身近な話題で、議論は活発に行われていますが、それぞれの発信者にそれぞれの意図がある以上、どのような意見も、第三者が分析するのはとても難しい。


一方で、「その危機をどう解決すれば良いのか」「その危機にどう対処すれば良いのか」といった、解決策・対処法は、驚くほど少ないように感じます。


もちろん、原因やことの真偽が分かれば、それに越したことはないのですが、、、。それだけ、解決策・対処法は難しい、あるいは影響力が大きいんだと思います。


世界中で真実の追求に日夜取り組んでいる人達、また悪役に徹している人達に敬意を表しつつ。


新生活を始めるにあたっての目標の1つである、「目指す生活スタイル」と「食べ物・お金の危機にも対処できる生活スタイル」の両者を近づけていけるように、現実的な模索を続けたいと思っています。

タグ:食糧危機 金融危機

フラヒ プロフィール

【プロフィール】

20代前半、アフリカの農村で働く。20代半ば、自転車で日本を縦断。20代後半、船で東南アジアを一周。

企業にてホームページ制作を学び、複数のサイトを制作&運営。

2010年、東京から東三河へ。

フラヒのふろく 230-1.jpg


【目指す「半農半X(エックス)」】

自分自身が魅力的な暮らしを送り、素敵な友人と地道な活動をして、そんな日常と活動を発信することで、輪が広がり、仲間が増えていく。そんな循環の積み重ね。


【好きな言葉】

慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル(宮沢賢治「雨ニモマケズ」)

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに(井上ひさし)


▼こーち(coach)の活動・関心

2009    :関東教育支援ネットワーク        関連記事  関連サイト

2007‐2009:(NPO)キャリナビ             関連記事  関連サイト

2007    :エコ貯金                  関連記事  関連サイト

2006‐2007:ボランタリーフォーラム          関連記事  関連サイト

2006‐2007:シアターなんみんと夢          関連記事  関連サイト

2006‐2009:青年海外協力隊東京OB会       関連記事  関連サイト

2005‐2006:若者勉強会                関連記事  関連サイト

2005‐2006:JICA青年招へい合宿セミナー      関連記事  関連サイト

2005‐2009:地球市民アカデミア            関連記事  関連サイト

2004    :東南アジア青年の船           関連記事  関連サイト


▼健さん(ken)の活動・関心

2003‐2004:バランドゥグ=カン             関連記事  関連サイト

2003‐2004:木パブ                   関連記事  関連サイト

2003    :九州アジア大学              関連記事  関連サイト

2003‐2004:(NPO)ファイナイト             関連記事  関連サイト

2003‐2004:APU国際協力研究会           関連記事  関連サイト

2002‐2004:大分県青年海外協力協会        関連記事  関連サイト

2002    :日本縦断自転車旅行          関連記事  関連サイト

2000‐2002:青年海外協力隊             関連記事  関連サイト

1999‐2000:キャリナビ                 関連記事  関連サイト

1999    :アウトドアゲーム指導法講習会     関連記事  関連サイト

1999‐2000:ピースボート                関連記事  関連サイト

1999‐2000:ヒッポファミリークラブ           関連記事  関連サイト

1999    :国連クラシックライブ           関連記事  関連サイト

1999    :(株)パフ                  関連記事  関連サイト

1999    :就職活動                  関連記事  関連サイト

1998    :学ぶ青年全国集会            関連記事  関連サイト

1998‐2000:パパ・タラフマラ              関連記事  関連サイト

1998‐1999:(NPO)Kids                 関連記事  関連サイト

1996‐2000:社会福祉研究会             関連記事  関連サイト

東三河へ きっかけ(1)

新生活を始めるにあたって、自分がここに至ったきっかけを、つぶやいてみます。


20代の前半に、アフリカの農村で2年間暮らしました。

なぜその選択をしたのか、はっきりとは答えられません。かなり衝動的なものでした。ただ、選択をすることで、その後予想のつかない人生を送れるんじゃないかと期待していました。


帰国後すぐに始めた、自転車旅行の前後に、その後の地元での2年間を決定づける、2人の人と出会いました。

Yさんと出会い、世の中にあふれている「常識」と距離を取ることを教わりました。また、これからの「働き方」について、起業も含め、一緒に様々な試行錯誤をしました。

その結果、家族や一部の友人に、心配と迷惑をかけてしまいました。理想と現実の間で揺れ動き、そこに少しの驕りもあったんだと思います。期限を決め、中途半端な自分に落胆し、止める決断をしました。

Hさんと出会い、話をする中で、自分の中の閉じかかっていた感性を開いてもらいました。独特の「働き方」を教わる中で、地元で国際交流を続けるきっかけにも出会いました。

しかしやはり、いくつかの挑戦も壁に当たりました。模索はしても、それを選び取る「覚悟」ができていなかったんだと思います。


閉そく感を抱えたまま、船で東南アジアをめぐる旅に出ました。何か変わるきっかけを探していました。

そして帰国後、2か月ぶりに携帯の電源を入れると、留守番電話に、Hさんから「東京に来ないか」とお誘いのメッセージが入っていました。直感のままに引っ越し、東京生活が始まります。

東三河へ きっかけ(2)

その後の2年間は、ジェットコースターのようでした。

Hさんから広がる世界は、刺激的過ぎて、麻痺してしまうほど。終業後と週末のほとんどの時間を費やし、どこへでも付いて行きました。それでも時間が足りず、ついに転職を決断しました。


専属の秘書になって見えてきた世界は、さらに全く違うものでした。

「世の中」のダイナミックな動きの多くは、平日の昼間に起こっていました。その氷山の一角に触れただけでも、視野が広がると同時に、どうしても大きな疑問がわき起こってきました。


「自分の知っている(信じてきた)世の中と、目の前の現実のギャップは、いったい何なのだろう。」

そのどちらにも、大切な人たちが暮らしていて、それぞれのルールと、説得力のある論理と、共感できる感覚がある。


アフリカと地元で広げたつもりになっていた「常識」の、本当の幅はあまりに大きく、パラレルワールドを生きる内に、ついに自分のキャパシティを超え、思考が破たんしてしまいました。


激動の2年間と別れを告げ、リハビリに励む3年間が始まります。

東三河へ きっかけ(3)

ぽっかりと空いた時間と心を埋めるように、いくつかの団体で活動を始めます。

それぞれの団体では、苦労した分だけ、大切な仲間を得ることができました。どの団体も、社会的な広がりという面では課題が残りますが、狭く深く人と付き合っていくことで、自分自身のリハビリにもなっていたんだと思います。


激動の2年間のことはたびたび思い出されましたが、いろいろ考えた挙句、いつも容量オーバーで思考停止になるのでした。


リハビリを続け、少しずつ社会と関わる中で、どうしても地に足をつけなければ、と感じるようになりました。いろいろな縁があって、畑の広がるこの地への転居を決断しました。

ここで、日々の営みを続けながら、これまで出会ってきたことを振り返り、ゆっくりとつづっていこうと思います。


自然も経済も、まだ回復可能なレベルなのか、臨界点を超えてしまっているのかは分かりませんが、たくましく穏やかに生きていけたらと思っています。

↑ページトップへ