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農村の日々のあれこれエトセトラ

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フェアトレード団体

『フェアトレード』を促進し、「生産者」と「消費者」双方の権利を守るという『フェアトレード』団体。地域内の「トレード」から、国を越えた「トレード」まで、扱う対象も団体のありかたも幅広く存在しています。


中でも積極的に『フェアトレード』を打ち出しているのは、国を越えた「トレード」を扱う団体。特に、発展途上国と呼ばれる国々と、先進国と呼ばれる国々との間の「トレード」には、様々な問題や格差が生じやすく、その問題の解決に取り組む『フェアトレード』団体も世界的に増加傾向にあるようです。


日本国内にも大小さまざまな『フェアトレード』団体があり、組織の形も企業、NPO/NGO、政府機関、個人と多種多様です。その多くは、アジアを中心とする外国の民芸品や食品などを輸入し、日本国内で販売、その利益を生産者に還元する、という形態をとっています。

タグ:フェアトレード

フェアトレードとは

フェアトレードとは、「生産者」と「消費者」双方の権利を守るため、公正な取引を目指す運動のこと。

「作る人(生産者)」と「使う人(消費者)」が同じ場合、物やサービスは交換される必要がありません。いわゆる、自給自足です。一方で、「生産者」と「消費者」が違う場合、そこには「トレード」が生じます。


一番シンプルな「トレード」の形は、「生産者」と「消費者」の直接取引です。「トレード」が複雑になるにつれて、生産者団体・仲買人・運送業者・卸業者・小売業者・消費者団体など、「生産者」と「消費者」の間に入る人が増えていきます。さらに、金融機関、広告業者など、間接的に「トレード」に影響を及ぼす人も現れます。


どの段階の「トレード」においても、それが「フェア」かどうか、「トレード」をする双方の視点から見ることは可能です。また、段階が少なければより「フェア」だということも、一概には言えません。

「トレード」をする双方が『フェアトレード』を行えば、少なくとも「トレード」上の問題やトラブルはおさえられるはずですが、実際にはそこにたくさんの問題や格差が生じています。


そこで、『フェアトレード』を促進し、「生産者」と「消費者」双方の権利を守るため、『フェアトレード団体』が存在し、世界各国で活動しています。

タグ:フェアトレード

紡[つむぎ] 発足

机上で少しホームレスのことを「勉強」しても、目の前の現実のホームレスの人々に近づけるのか、また自分がそれを望んでいるのかも分からず、迷いながら『若者勉強会』に参加していました。

会で予定していた3回の公開勉強会を終え、メンバーの多くが卒業などで新たなステージに進み始めると、会の活動は休止状態になり、自分も活動の現場に参加することはほとんどなくなりました。


会の活動は休止していたものの、メンバーの中から問題意識が消えたわけではなく、それぞれの生活や関心に合わせて、個人的に活動を続けていました。

自分も、ホームレスを含めた社会の「構造」の問題から関心が無くなった訳ではなく、翌年・翌々年と、『地球市民アカデミア』の講師として湯浅誠さんをお呼びするなど、「知識」としてのホームレス問題には触れ続けてきました。


『若者勉強会』の休止から2年半。メンバーの1人が会社を辞め、ホームレス支援団体で働き始めるようになったことをきっかけに、『紡[つむぎ]』という新たな団体を立ち上げ、活動をしていくことになりました。

今の主な活動は、月に数回の東京・立川での炊き出しや、月に1回の勉強会です。


自分は相変わらず距離の取り方に迷いながら、不定期で参加しています。ただ、2008年の秋から続く大不況で、正社員・派遣社員・アルバイトなど、働き方を問わず、路上に出てこざるを得ない人が増えてきています。そして自分も、不安定な雇用状態にある1人です。

そんな中で、「構造」の問題や、どうしても働き口が見つからないときに頼みの綱となる『生活保護』の申請方法、『ドヤ』や無料健康診断の情報など、「知識」の大切さも実感しています。


そして何より、会のメンバーや支援団体の人たち、ホームレスの人たちとの「つながり」は、自分を守るセーフティーネットでもあると強く感じています。

「ホーム」のある今の状態だからこそできること、知っておいたほうが良いことを、少しずつ発信していければと考えています。

タグ:反貧困

フェアトレードとの出合い

『フェアトレード』という言葉を初めて聞いたのは、2005年の夏。『地球市民アカデミア』での講座を通してのことでした。

その頃の自分は、仕事とNPOをかけもちしていて、食事は外食ばかり、家には寝るためだけに帰り、平日も週末も休みの無い生活を送っていました。


『青年海外協力隊』や『東南アジア青年の船』など、ある一定期間、海外と関わる活動をしてきていましたが、自分の日々の暮らしの中で、持続的に海外に関われる活動として、『フェアトレード』という考え方にとても共感しました。

ただ当時は、目の前のことに一生懸命で、また日々が刺激的でもあり、なかなか最初の一歩を踏み出せずにいました。


そんな暮らしに変化が訪れたのは2007 年の春。自分の続けていた活動への疑問が膨らんできて、体の節々にも変調が出て、悩んだ末に活動を辞めることにしました。そこで改めて自分の暮らしをふりかえり、『フェアトレード』を始めてみよう、と決めました。


転職先を探していたこともあり、縁あって1年間、フェアトレードを推進する NGOで、フェアトレードショップの運営に関わることができました。

そこでは商品の企画・販売、お客さんの声、生産者の様子など、身近に感じることができ、またお店を運営・維持していくことの大変さや難しさを知ることもできました。


その後も何かのイベントや日用品を選ぶ際に、フェアトレード商品も積極的に選択肢に入れています。最近は生産者支援よりブランド化を重視する団体なども出てきて、選択肢や裾野が広がることにわくわくしています。

タグ:フェアトレード

救急搬送

『若者勉強会』に参加してすぐの頃。いつものように会社に出勤していると、路上に、明らかにホームレスと分かる人が倒れ、痙攣(けいれん)のような症状を起こしていました。

さすがに通り過ぎることができず(それでも少し躊躇しましたが)、声を掛けてみるものの、ほとんど返事もありません。


持っていたペットボトルの水を分け、隣に座って少し様子を見ましたが、様子に変化が無く、途方にくれて勉強会のメンバーに連絡するもつながらず。

少し勇気が要りましたが、救急車を呼ぶことにしました。電話口で、倒れている男性はおそらく路上生活者であるということも伝えました。


待つこと数分。すでに会社には遅刻の連絡を入れ、少し気分も落ち着いてきていましたが、救急車が来てくれた時には、やはりほっとしました。救急隊員の方も慣れているのか、2・3の簡単な質問を受けた後、すぐにおじさんを救急車にかつぎこみました。

その時、おじさんの大切な荷物(毛布など)を置いて行かざるを得ないとは分かっていつつも、おじさんはこの後どうなるんだろうと自問自答している内に、救急車のドアは閉まり、救急隊員も車内に戻っていきました。


ただ、『医療相談会』などで、いざ救急搬送しようとしても、野宿者を受け入れてくれる病院がなかなか見つからないということを聞いていたので、その場で様子を見ていると、やはり受け入れ先がなかなか見つからないようで、結局20分ほど経ってから、ようやく救急車は移動していきました。

タグ:反貧困 若者勉強会

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ホームレスという言葉

ホームレス支援団体の活動に初めてボランティア参加したとき、『野宿者』『路上生活者』という言葉を耳にしました。それらは、「住居を持たず、公園や道路などで暮らしている人」のことです。

ん、『ホームレス』と違うのかな?なぜわざわざ言い換えているのかと疑問に思い、聞いてみました。


支援団体の方は、日本語の『ホームレス』という言葉の定義に疑問を持っていました。

もともと「ホーム(住まい)レス(無い状態)」=「住まいの無い状態」という、単なる状態をさす言葉が、日本では「住居を持たず、公園や道路などで暮らしている人」の意味で使われています。自分もそう思っていました。


そこには2つの問題があるそうです。

1つは、『ホームレス』という言葉が差別的に使われていること。あくまで状態を指す言葉で、そこに至った背景にも個人差があり、個人の責任だけではないことも多いのに、『ホームレス』という言葉には、「本人のせいでそうなった、または本人が好きでやっている」という意味も含まれてしまっている、と言います。

もう1つは「ホーム」の定義。「ホーム=住まい」には本来、「自分の”暮らす権利”が保障されている住まい」という意味があり、欧米などの国では、「住み込み仕事」などの(仕事のあるときだけ住める)住まいや宿泊所、最近ではネットカフェで暮らす人なども『ホームレス』と呼ぶそうですが、日本語の『ホームレス』には、これらの人は含まれていません。


そのため、政府の発表する統計などでの『ホームレス』の数は、「住居を持たず、公園や道路などで暮らしている人」を目で確認するだけで報告されており、実際に何らかの支援を受けるべき人の実態よりも少なく、それがそのまま政策に反映されているそうです。


そこで支援団体では、『野宿者』『路上生活者』という言葉を使い、必要に応じて『ホームレス』と使い分けている、とのことでした。

『ホームレス』ではなく、あえて『野宿者』『路上生活者』という言葉を使う際には、「住居を持たず、公園や道路などで暮らしている人」がそうならざるを得なかった背景、社会の構造や労働環境の偏りなどに対する一定の認識も含まれているのだろうと感じました。

タグ:反貧困

若者勉強会 発足

隅田川沿いで毎月第3日曜日に、ホームレスの方への医療相談・法律相談・共同炊事などを行う『隅田医療相談会』に集まった学生が中心となり、 2005年7月に発足しました。


『若者勉強会』には、医学・法律・都市計画・国際協力など様々な分野を学ぶ学生や、会社員・NGO職員などが参加し、国内の貧困である野宿者・ホームレス問題を、自分たちのこととしてとらえ、野宿者を取り巻く問題について学んできました。また、2005年11月から2か月に1度、合計3回の公開勉強会を行いました。


野宿者問題の中でも関心のある分野や勉強会に対する想いは異なりますが、互いの意見や考えを出し合い、議論を通して、野宿者問題に対する理解や考えを深めていく場となりました。


※隅田医療相談会※
隅田川にかかる言問橋たもとにて、2001年より毎月第3日曜日に行われている『医療相談会』です。

周辺で野宿する有志、地元のボランティア団体、医師、看護師、獣医師、司法書士などが協力し合って開いている無料の青空診療所・相談所です。共同炊事や法律相談、衣料放出も行われています。

タグ:反貧困 若者勉強会

山谷訪問

地球市民アカデミアの講義の前後には、講座のスタッフと一緒に、『山谷(さんや)地区』(東京都荒川区・台東区の一部。現在は住所としては存在しないそうです)訪問の機会がありました。

JR常磐線・南千住駅を出発し、貨物列車のターミナルや泪橋(なみだばし)交差点を通りながら、山谷の歴史的な背景について聞きました。


訪れた山谷は、時おりホームレスの人々を見かけたものの、特に人ごみも無く、普通の住宅街という印象でした。

『(財)城北労働・福祉センター』『山谷労働者福祉会館』『玉姫公園』など、ホームレスの人々の拠点となる場所を通りながら、それぞれの場所の説明を受けました。


その後、隅田川沿いの公園で行われている『医療相談会』に参加。初めてホームレスの方に話しかけ、調子の悪いところがないかなどを尋ねました。

100人ほど居たホームレスの人々の数だけでなく、炊き出しや問診などを手際よくこなす支援ボランティアの数の多さにも驚きました。


支援ボランティアの年齢層は様々でしたが、そこに集まった学生を中心に、「ホームレス/野宿者問題に関する勉強会を開きたい」という声が上がり、自分も参加することにしました。

タグ:反貧困 地球市民アカデミア

ホームレス問題を知る

それからも毎朝、出勤時に出会うホームレスの人々。自分の中で消えない違和感。その感覚に変化が訪れたきっかけは、『地球市民アカデミア』という市民講座を受講したことでした。


宇都宮大学の田巻松雄さんによる、「遠くの貧困、近くの貧困」という講義。

「日本国内にも貧困がある」という現実、それは単に「貧乏(お金が無い)」ということとも違い、社会や産業の「構造」と深く結びついていること。『野宿者』『路上生活者』という聞き慣れない言葉。


すぐには理解できませんでしたが、「ホームレス状態に陥るのが決して本人のせいだけではないという明確な証拠。その一つは、日本のホームレスのほとんどが50代以降の男性に偏っていることです。」という言葉を聞いて、「そういうことか」と、自分の中で消えなかった違和感の原因が少し分かった気がしました。


自分が毎朝、ホームレスの人々を見ていて感じる違和感。アフリカのホームレスや日常的に触れる場面との違い。その一つは、日本のホームレスがおじさんばかりだということです。

彼らはなぜ、「路上」で暮らさなければならないのか。それは彼らの意思なのか。そして、貧困に陥った子どもや女性はどうしているのか。講義が終わった後も、漠然といろいろな疑問がわいてきました。

タグ:反貧困 地球市民アカデミア

ホームレスとの出会い

2005年・東京。

上京してすぐに勤め始めた職場は、東京都庁に隣接したオフィスビルでした。地元ではほとんどその存在に気づいていなかったホームレスという存在。

数十人、いや数百人?これほど多くの人たちが、諦めたような表情で都庁の地下通路に座り、その横をスーツ姿のサラリーマンが何もなかったように通り過ぎていく…。


以前暮らしていたアフリカでも、たくさんのホームレスは存在していました。街中で見かける彼らの多くは少年で、無気力な人も、殺気立った人も、笑っている人もいて。

そして、その何倍もの人々が、スラムで暮らしている事実。自分は彼らを一つの風景としてとらえ、一時滞在中であることを言い訳に、それ以上考えることをやめて、彼らの横を通り過ぎていました。


そして数年後。再び出会ったホームレスの人々は、ほとんどがおじさん達でした。疲れきった表情でダンボールの上にうずくまる姿や、少し遠くからでも分かる臭いに、「この日本で…」という驚きを隠せませんでした。


一体何が起こっているのか。アフリカでは麻痺していった自分の中の違和感が、今度はいつまで経っても消えませんでした。

タグ:反貧困

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