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東南アジア青年の船

九州アジア大学から半年後の2004年春。同窓会の際に、参加者の1人から、「世界青年の船に参加しました!」という近況報告がありました。

何だろう?と思い、自宅に帰ってインターネットを検索。内閣府の国際交流事業のサイトにたどり着きました。


調べていく内に、他にもいろいろな事業があることを知りました。中でも、『東南アジア青年の船』にとても興味が湧き、思い切って応募してみることに。締切まで数日、急いで応募用紙に記入しました。


事前研修では、初めて会う同期のエネルギーと、決めるべきことの多さに圧倒されました。平均年齢(22~23歳?)をかなり上回る自分がついていけるのだろうか、と少し不安になりながらも、青年海外協力隊や地元でのNPO活動など、年上の人と接したり、一緒に活動する機会が多かったので、自分の立場が新鮮でもありました。


そして10月、本体プログラムのため上京。その年は、最初に行われる日本国内プログラムの間に文化紹介パフォーマンスを行う日程だったため、寝る時間を削って練習しました。

『パパ・タラフマラ』に出合って以来、舞台裏にも関心があったため、舞台監督の1人を担当しつつ、太鼓や能のパフォーマンスにも参加。

舞台は数日前に出会った外国青年やスタッフの方からも好評で、かけてきた想いや満足度も高く、その後しばらく放心状態になるほどでした。


船上での生活や寄港地での活動、ホームステイファミリーとの出会い。ふり返ってみると、できなかったこと、もっとやりたかったことが次々と思い浮かびます。

九州アジア大学をふり返っても感じることですが、船を下りてからの様々な経験を経て、今ならもっと話したい、話せることがあるのに、という気もします。


嬉しい誤算もあります。外国青年と別れる際、「もう一生会えないかもしれない」と涙したものの、その後も交流が続いていること。

300人の中ではごく1部ですが、様々なプログラムを活用して実際に来日してくれる友人もいます。世界中で活躍する友人に励まされ、遅まきながら英語の勉強も始めました。


東南アジア青年の船下船後、上京してからの濃い日々の中で、オーバーヒートしていた頭にも少しずつ余裕が出てきました。離れていても、SNSやスカイプなど、交流する手段はどんどん増えています。

一緒に考えたいことがある今、つながりに感謝しながら、交流の糸を太くしていこうと思います。

タグ:20代 東南アジア青年の船

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