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APU国際協力研究会

青年海外協力隊に赴任している頃、地元・大分県に、新しく大学ができたという話を何度か聞きました。

どうも、かなりの数の留学生が入学しているらしいということで、帰国したらぜひ訪れてみたいと思っていました。


帰国後、日本縦断自転車旅行を終え、地元で就職。なかなか大学に行く機会が無かったのですが、2003年の春に国際協力セミナーに参加したときに、その大学の学生の方と知り合うことができました。


大学名は、立命館アジア太平洋大学(略称:APU)。学生の構成は、自分の想像で、世界80か国からの留学生が、全生徒数の半分という、とても面白い大学でした。

県民でも行ったことのないような別府の山の上を切り開いて建てられた大学に、その後何度か通うことになりました。


知り合った学生の方は、40歳を過ぎてAPUに入学した古川勝利さん。入学早々、『国際協力研究会』というサークルを立ち上げ、活動していました。

研究会に招いていただき、青年海外協力隊の体験談を話したことで、その後も少しずつ関わっていくようになりました。

古川さんの野武士のような精悍な外見は学内でも一際目立ち、その行動力や段取り力、きめの細やかさに何度も感嘆しました。


研究会は、様々な試みに挑戦していました。各国紹介のパネル展、国際会議での通訳業務、街頭募金、国際交流イベントの運営などなど。

次から次へとアイデアが湧き出る古川さんに、研究会のメンバーも必死で付いていき、活動の幅も質もどんどん上がっていました。


一方、日々の授業や学校運営に疑問を感じ、真正面から抗議・提案を続けていた古川さんは、紆余曲折を経て、APUを辞めてしまいます。

「古川さんをAPUの職員に」という学生たちの声も届かず、別府市の国際担当職員の話が出たものの、実現しませんでした。

APUも別府市も、貴重な機会を逃してしまったと、とても残念だったことを覚えています。


同時期に古川さんから、NPO法人を設立する構想も聞き、会員として応援することにしました。『(特活)ファイナイト』として登記し、英会話スクールを軸とした試行錯誤を続けていましたが、いろいろな事情も重なり、残念ながら解散となってしまいました。


その後も国際協力研究会の活動は続いていましたが、自分は東南アジア青年の船に参加した後、上京することとなり、研究会の活動へ顔を出すこともなくなりました。今も続いていると嬉しいのですが。


東京に来てからも、研究会の学生の何人かとは交流が続いています。また、鉄人・古川さんとも、つい最近、近況を交換したばかりです。

日本の国際大学の可能性と課題に向き合った経験は、今後も活きると思います。

タグ:20代 国際交流

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